「悪戯心」

 ――男が甘いものを好かないのは、長い付き合いだから当然知っていた。
 それでも「それ」を用意したのは、軽い悪戯心からだ。
 日が落ちてから酒場で落ち合ったときに渡した「それ」を見て、案の定ゲドは眉をひそめた。
「気に召さないかい?」
 微笑を含んだ声で問うと、ゲドは傍らに腰を落ち着けるクイーンの顔をちらりと見て、一瞬の間の後に首を振った。
 一応は、気を使っているらしい。その仕草にまた微笑を誘われたクイーンは、一口、酒を含んだ。
 ゲドの手中にある包みの中には、艶のあるチョコレートが二粒納まっていた。
 チョコレートといえば、立派な高級品である。ビュッデヒュッケ城あたりでは、普段なら決してお目にかかれる代物ではなかった。
 クイーンから手渡されたそれに目を落としながら、ゲドはぼそりと呟いた。
「……今日は何かあるのか。昼間に、アイラからも貰ったぞ」
 ――貰ったのは、アイラからだけじゃないだろう?
 クイーンは胸中でそう呟いたが、表には出さなかった。
 この男が、玄人筋の女にもてる事は知っている。夕刻に男の部屋を覗いたときに、無造作に机の上に投げ出されていた包みは三つや四つではなかった。
 今更妬くほどの事ではなかったので、それには触れずに、違うことを口に出した。
「おや、ちゃんと礼はいったんだろうね?それにしても、あげる甲斐の無い台詞を口にするじゃないか。今日が何日だか思い出してごらんよ」
 クイーンに言われたとおり、暫く無言で考え込んでいたゲドは、やがて古い記憶の中から、今日が何の日か、記憶を引っ張り出してきたらしい。初めて得心したように頷いた。
「……とっくの昔に廃れた習慣だと思っていた」
「最近の流行りなんだってさ。実は、あたしも今朝、アンヌから聞いて知ったんだけどね」
 酒場を仕切る女主人に笑いを含んだ目配せを送ってから、クイーンは腰を上げた。
「今日はあたしの部屋で飲まないかい?ここはじきに落ち着かなくなりそうだし」
 気の荒い男同士の間で、既に酒の入った喧嘩が始まりかけている。
 ゲドはそれを横目に見ながら、頷きを返した。
 ――ここでクイーンの意図を悟れないような男では、玄人の女達にもてる筈が無かった。



 部屋に着いて、明かりも灯さないうちに、クイーンはゲドを壁際に押し付けた。
 偵察に出ていたゲドと逢うのは、五日ぶりだった。
 ゲドが手に持ってきていたチョコレートを一粒摘み上げると、クイーンはそれを自分の唇に挟み、そのままゆっくりとゲドの口の中に押し込んだ。
「おい……」
 甘いものが苦手なゲドが軽い抗議の声を上げるのを無視して、そのまま舌を使って生暖かい咥内で転がす。
 一旦唇を離すと、クイーンはしかめ面をしているゲドを笑って見上げた。
「そんなに嫌がらなくても良いだろう?」
 そして、再び口付ける。
 器用にチョコレートを自分の舌の上に引き受けると、クイーンはゲドの咥内で僅かに溶けたそれを歯で割り、中からとろりと流れ出した液体ごと、ゲドの舌に絡めてやった。
 その正体を知り、ゲドが顔を離す。
「ブランデー入りさ」
 そう告げると、ゲドは軽く苦笑して、自分から残りの一粒を口に放り込んだ。
「気遣い、痛み入るな」
「どういたしまして」
 笑いを含んだ口づけを交わす。――程なくして、クイーンの喉にも、男の体温で溶けたチョコレートとない交ぜになったブランデーの熱い液体が、ゆっくりと流れ落ちていったのだった。